別の記事でご紹介している、熊本市内のカフェ&バー「Neu(ノイ)」のフィナンシェは、いま注目される熊本出身のパティシエ、平瀬祥子(ひらせ しょうこ)さんから手ほどきを受けたものです。
その平瀬さんが心がけているのは、焼きたてであること。
毎朝、母親が用意してくれたできたてのパンを食べる喜びが、パティシエとなった平瀬さんの信条につながっています。
平瀬 祥子さん
食べる人が喜ぶ。
そのことが私の幸せ。
熊本らしさのある、新しいおみやげをつくりたい。そんなお話を、故郷・熊本の「Neu」さんからいただいたことがきっかけで、私が得意なフィナンシェのつくりかたを伝えに行くことになりました。フィナンシェで大事なことは、焼く温度とタイミングです。これは一緒に体験しなければ教えられませんし、ガス台やオーブンなどの道具の適切な使いかたを知ってもらう必要があるため、2か月に1回のペースで東京から熊本に通いました。
フィナンシェを始め焼き菓子は、焼きたてを食べたときの幸せな気持ちを大事にしています。持ち帰りでは得られない、その場その瞬間を楽しんでもらう体験を、お客様に提供したい。そんな私の思いとつくりかたを、共有できたと感じるまで「Neu」さんに足を運びました。そのフィナンシェの質は、平瀬祥子の名前で出してもらって恥ずかしくないものになったと自負しています。
私に焼きたてのおいしさを教えてくれたのは、母です。母はパン教室を開いていて、朝の食卓にいつもできたばかりのパンと、小麦の香りがある。そんな家で育ちました。どれほど自分が恵まれた環境にいたかを知ったのは、実家を出てからのことです。やがて、母が教えてくれた焼きたての喜びを、自分もパティシエとして提供できればと考えるようになりました。食べる人が喜ぶことが、なによりも幸せなこと。いま私はそう感じています。
熊本は、パティシエの立場から見ると、食材に恵まれた土地。なかでも山江村(やまえむら)の栗は格別です。年間で2週間ほどしか収穫できない希少な栗で、それ自体にほどよい甘さがあります。加減を誤ると本来のおいしさを損なう繊細な食材のため、パティシエとしての腕を試されます。ご縁をいただいて昨年、山江の「栗アンバサダー」に任命していただいたこともあり、私なりにこの栗の魅力を引き出せたらと思います。ほかにも、熊本の柑橘(かんきつ)類は旨味が凝縮している印象です。太陽の光をしっかり浴びている、健康なおいしさを感じます。
熊本の食材といえば以前、人吉市(ひとよしし)の旅館に泊まる機会がありました。そこで地元の清流でとれた鮎(あゆ)をいただいたのです。滋味深く、なによりのぜいたくと感激しました。人が旅先で求める料理は、その土地でとれたもの。あたりまえのことかもしれませんが、ふだん東京で高級食材がいつでも手に入る環境にいるため、はっと気づかされる思いでした。
母の焼きたてパンもそうですが、これまで体験した感動が糧(かて)となり、いまの自分につながっている。そんなふうに思います。
平瀬さんが昨年金沢に開いたお店の名は、「花鏡庵(かきょうあん)」。室町時代、能を大成した世阿弥(ぜあみ)の芸論書「花鏡」から採られています。同書にある「万能を一心にてつなぐ感力」を体現するかのように、張り詰めた緊張感のなか、持てる技術を駆使し、無心に仕事に向き合う平瀬さん。その境涯を究(きわ)めようとする人の、ひたむきな姿がそこにありました。
その香りや食感がもたらす多幸感も、焼きたてを食べる喜び。
店名の「ローブ」は始まりや夜明けを意味するフランス語。