「マンガを原作にしたお芝居のおもしろさは、表情の見本が原作にあること。演技に迷ったら読み返します」と菅井さん。
私たちは
熊本を拠点とする
女性だけの歌劇団。

菅井 育美さん
すがい いくみ/1993年、福島県生まれ。2020年、オクロック熊本歌劇団に第一期生として入団。
オクロック熊本歌劇団の創立メンバーの一人で、主演女優の菅井育美さんは、マンガを原作とした舞台を通して、演じる人と観る人との関係を丁寧に築いています。拠点とする劇場の客席で、お話を聞きました。
――まずは、菅井さんが入団したきっかけをうかがえますか?
菅井 SNSで劇団員募集の案内を目にしたことです。私は故郷の福島から上京後、会社員を経て、演劇の専門学校に通ったのち、東京で活動していました。けれども、新型コロナウイルスが流行し、お芝居のお仕事が絶えました。途方に暮れていたとき、劇団の創立と、第一期生の募集を知ったのです。「このチャンスを逃したくない」と応募しました。
――入団後、阿蘇で集団生活を送りながら、演技を学ばれました。その5年間で得たものは?
菅井 ダンス、殺陣、歌唱といった体を駆使する表現です。いずれも未経験の私には、ハードルの高いものでしたが、講師の方々が根気強く教えてくださいました。
そして、演劇に専念できること、劇団のメンバーがいつもそばにいること。そんな環境をいただけたことが、なにより大きかったです。劇団員はそれぞれ得意分野があるので、わからないことはすぐに聞けます。それに、原作者の堀江信彦さんが近くにいるので、役づくりに悩んだら相談できます。私が演じるのは、前田慶次という戦国期の〝傾奇者〟。役の性根をつかめず悩んでいましたが、〝傾奇者〟についてわかりやすく教えてもらえたことで、演じられるようになりました。

客席と舞台の距離が近く、一体感のある「熊本マンガアーツ」の劇場。「舞台に立つと、表情のわずかな変化も伝わると実感します。身の引き締まる思いと、客席とひとつになってお芝居ができる喜び。そのどちらも感じます」
夢の時間を過ごせる。
そんな舞台に憧れ、
めざしています。
――菅井さんのお芝居に対するご家族の反応は?
菅井 「よかったよ」と、昨年観にきてくれた母と姉は言ってくれました。母は演劇が好きで、私が女優を志すきっかけをくれた人。中学生のとき、大泉洋さんのいるTEAM NACSの舞台に連れていってくれました。そこでの感動体験が、お芝居を仕事にと思ったきっかけです。わずか2時間で、喜びも悲しみも人に感じてもらう。そんなことを私もできたら、と思いました。
母と姉と一緒に、父も熊本へ来てくれました。私が勤め先を退職してお芝居の道に進むとき、「上場企業を辞めて女優とは。食べていけるのか。お前が現実を見ない人間とは思わなかった」と父からは反対されました。その父が、はじめて観にきてくれたんです。客席にいるとわかり、緊張しました。
終演後、顔を合わせたとき、私には何も言いませんでした。けれども、私をほめていたと、あとで人づてに聞きました。「大切なお役をいただき、娘はそれを全うしようとしている。そのことがわかり安心しました」。そう語っていたそうです。うれしかったですね。

歌劇団の創立メンバーとして、主演女優として、研鑽を続けてきた菅井さん。横顔の美しい見せかたに、この5年の芸の深まりを見る思いがしました。
――これから、取り組みたいことはありますか?
菅井 女性劇団ならではの華やかさ、しなやかさ、品や迫力を増していければと思います。
後進の育成にも、私なりに取り組んでいけたらと思います。ある時期から、主役の前田慶次役を後輩と私の二人で務めるようになりました。これまでの経験で学んだ大事なことを、いつどんな言葉で後輩に伝えるか。それを考える時間が増えました。自分が人に教えるとは、想像もしていませんでしたが、後輩が一つひとつできるようになる姿を見守るのは、楽しく、幸せなことですね。
菅井さんのお話を聞いていると、演技を磨くことへのたゆまぬ営みと、後輩への指導に込めたこまやかな心配りが伝わってきました。歌舞伎俳優であり演出家でもあった二代目市川猿翁は、自身の劇団のことを振り返り、演技を教えることと学ぶことについて、次のように自伝に書き遺しています。
「教えるとは共に希望を語ること。学ぶとは真実を胸に刻むこと」。演技を学ぶことも、後輩に教えることも、喜びの言葉で語る菅井さん。その未来にあるのは、劇団というチームでめざす、さらなる高みにある舞台。その開幕のベルは、もう菅井さんの耳に鳴り響いているのかもしれません。



