おでんといえば……。
家庭料理、あるいは屋台、
最近ではコンビニのイメージを抱く人もいるかもしれません。
いずれにしてもおでんは、
手軽でシンプルな冬の料理の代表格です。
熊本市街のメインストリートを少し外れた通りに、
そんなおでんに対する先入観をくつがえすお店があります。
“炊合せおでん”。
やさしくも洗練された味わい。

初めての方にはコースがおすすめです。
特選おでん会席コース 11,000円(税込)。
おでん割烹コース 7,500円(税込)。
熊本市内中心部にある上通アーケードと並行するようにのび、隠れ家的なカフェや雑貨店などが軒を連ねる、上乃裏通り。古民家を改装した店舗も多く、昭和と令和が融合したたたずまいの通りのなかほどに、「おでん まつむら」はあります。
瀟洒な扉を開けると、まず目につくのがカウンターの角にすえられた大鍋。大根や厚揚げなどが煮込まれており、出汁のやさしい香りがふわりと立ち上ると、自然と心がほどけていく気がします。「まつむら」では季節ごとに40種類ほどのおでんを提供しており、味つけは関西風。濃口しょうゆを使う関東風とは異なり、薄口しょうゆが用いられることで、食材や出汁のうまみが強く感じられるのが特徴です。
入店早々、香り豊かな、黄金色のつゆに見とれていた編集部員。店主の松村崇史(43)さんから意外な言葉が飛び出しました。「このつゆだけ飲んでも、あまりおいしいと感じないと思いますよ」。いただくと、滋味深さはありながらも、言われてみれば薄味で、どこか物足りなさを感じる味わいです。「和食の炊合せってご存知ですか? うちのおでんはその技術を使ってつくるんです」
炊合せとは、別々に煮込んだかぼちゃやにんじんなどの食材を、一つの器に盛り合わせる伝統的な煮込み料理のこと。手間はかかりますが、食材ごとに煮込む温度や時間を調整することで、それぞれのうまみを最大限に引き出すことができます。
「まつむら」ではこの手法をおでんに応用し、食材とつゆを別々に調理しているといいます。たとえば店の名物「鯨のさえずり(舌)」は、しょうゆやみりんなどを合わせて一晩煮込み、さえずりが水気を吸い尽くすほど濃く味つけします。そして提供する直前に、大鍋のつゆを注ぐのです。このつゆは薄味ながら、鰹や昆布、たまねぎのうまみがとけ込んでおり、味のベースとなる役割があります。注がれると、さえずりからエキスがとけ出すと同時につゆが染み入っていく。この瞬間、「まつむら」のおでんは完成するのです。
さえずりはほどよい弾力が特徴。噛みしめると磯の風味が広がり、つゆのまろやかな味わいが鯨特有のくせを軽減し、うまみへと変換してくれます。やさしさだけでなく、洗練された複雑な味わいを合わせ持つのが、「まつむら」のおでんです。

鯨のさえずり
鯨の舌の部位。
モロ(鯨の皮下脂肪)とともに、関西では一般的なおでん種。
1,650円(税込)。
おでんの枠を超えて。
唯一無二をめざす。
「まつむら」は2012年に開業し、18年には「ミシュランガイド熊本・大分2018特別版」の一つ星を獲得。美食家たちに評価される所以が、創作おでんです。メニューには大根や煮卵といったオーソドックスなおでんに加え、あわびやからすみなど、おでんとなじみのない食材を使ったものが並んでいます。これも、食材に合わせて調理法を変えて、その持ち味を引き出す「まつむら」のおでんだからこそです。「あらゆる食材を試しましたよ。失敗もたくさんありますが、食材の特性を理解して生かすことが好きなんです」

あわびのあんかけ
蒸したあわびに、肝とおでんつゆでつくったあんをかけた創作おでん。
2,970円(税込)。

からすみもちのみぞれあん
自家製からすみを使用。
あんは大根おろしとおでんつゆでつくっています。
1,210円(税込)。

蓮根まんじゅうのあんかけ
まんじゅうを割ると、蓮根の豊かな香りが広がります。
660円(税込)。
松村さんによると、とうもろこしのように甘みがあり、味の主張が強い食材はおでんには合いません。たまねぎやもやしなど、ふだん料理の脇役として使われる食材は、おでんとの相性がよいそうです。「他の料理では主役を引き立てる脇役の食材が、おでんでは主役になれるんです」と松村さんは話します。
そんな「まつむら」でおでんと双璧をなす人気メニューが、釜飯です。5種類あり、そのすべてにおでんのつゆが使われています。「黒毛和牛とトリュフのかまめし」は、つゆで炊いたお米に、しょうゆで味つけした黒毛和牛とトリュフペーストをのせたもの。トリュフの香りや黒毛和牛の強いうまみを感じる一方、お米に染み込んだ出汁の味わいがあとを引き、見た目の派手さとは裏腹に、驚くほどやさしいあと味を感じられます。おでんの風味を残すためにあとから食材を合わせる、炊合せの考えかたはここにも活かされています。
和食の技術や食材に精通している松村さん。料理人としてのルーツは、熊本市内で両親が営んでいた洋食店にあります。幼い頃から店に出入りし、両親が働く姿を目にするうちに、自然と料理の道を志すようになりました。けれども、大阪の調理専門学校を卒業後、修行先に選んだのは慣れ親しんだ洋食ではなく、和食の店でした。さらに、和食を選んだのには意外な理由も。
「刺身や漬物が嫌いで、和食は苦手なジャンルだったんです。でも知らない世界を選んだほうがおもしろそうだなって。どうせなら本物を学びたいと考え、高名な『かが万』の門を叩きました」

黒毛和牛とトリュフのかまめし
蓋を開けた瞬間、濃厚なトリュフの香りが食欲をそそります。
2,970円(税込)。
探究し続ける。
これまでも、そしてこれからも。
大阪有数の繁華街・北新地に本店を構え、全国の美食家の舌をうならせる「日本料理 かが万」。松村さんが修行先に選んだ、日本料理の名店です。きっかけこそ好奇心でしたが、まかないで食べた刺身に衝撃を受けたといいます。
「それまで食べていたものはなんだったんだっていうぐらいおいしかった。ぼくは刺身が苦手なんじゃなくて、本物を知らなかっただけなんだって思い知らされました」。料理の世界の広さを知った19歳の松村さん。以来、11年に渡り「かが万」で修行を続けます。
「朝3時に起きて淡路島まで鯛を仕入れに行くんです。目利きもなにもできない新入りが、一人で。でも仲買人や漁師の方たちによい食材のことを教わりながら、少しずつおぼえていったんです。あれがなかったらいまの自分はここにいないなって思います」と松村さんは話します。
この修行時代に、「日本料理 かが万」の系列店「おでん 万ん卯」でも働いたことがきっかけとなり、おでんという料理にひかれるようになったといいます。そして12年、故郷の熊本で自らの店を開くことを決断し、独立しました。しかし関西と比べて熊本では、飲食店でおでんを食べるという文化は根づいていません。採算が取れるかわからない料理を店の要にすえることに、不安はなかったのでしょうか。
「その方がおもしろいじゃないですか。ニッチなジャンルの店だからこそ、チャンスもそこにあるはずだと思っています」
19歳で、和食という未知の世界へと一歩を踏み出した松村さん。知らないことへの飽くなき探究心は、23年経ったいまでも変わっていません。冬の熊本で、あなたが知らないおでんの世界を味わってみませんか?

調理場は松村さん一人で
切り盛りしています。

おでん まつむら

